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世界最強(最高)のお父さん!
■youtube(ユーチューブ)とは? 米国・カリフォルニアのユーチューブ社が運営する、動画ポータルサイト。 ユーザーがアップロードした動画がFlash Video形式(.flv)に変換された後に、公開される。 アップロード時に、著作権者に無断で動画をアップロードしないよう警告されるが、実際には世界中のありとあらゆるテレビ番組やコマーシャル、ミュージッククリップ等がアップロードされ非限定で公開されており、無法地帯と化しているとの見方もある。 これを受けて2006年3月28日、アップロードできる動画ファイルの長さが10分間までに制限された。 ネットスラングでは「ようつべ」(YouTubeのローマ字読み)などと書かれることも。

youtube感動の動画
涙が止まりませんでした。
世界最強(最高)のお父さん!
息子を抱えたおおきな背中のお父さんに感動しました。
実際の彼らの映像です。
音楽と共に楽しみ、ご覧下さい。
ビデオの上にある英語の簡単な和訳
ここから↓
その父親は26.2マイル(1マイル=約1.6キロ)のマラソンを85回、身体障害を持つ息子を車椅子に乗せて押し走った。
そのうちの8回はマラソンだけでなく、息子をボートに乗せ2.4マイルを泳ぎきり、そして112マイルを自転車で走りきった。どれも一日のうちにだ。
父親のディックはまた、息子のリックをひいてスキーのクロスカントリーにも挑戦した。息子を担いで山を登り、スキーでひき、そして自転車でアメリカ大陸を横断したこともある。
息子のリックは父親になにをしてきたか。大した事はしていない、ただ父の命を救った以外には。。。。
この親子愛の物語は43年前にマサチューセッツのウィンチェスターで誕生したリックが、生まれてくる際にへその緒が首に巻きつき、その結果、脳に障害を持ってしまったことから始まる。
“彼は生涯、植物人間として過ごすことになるだろう”
ディックと妻のジュディーはそう医者に言われた。リックが9ヶ月の時のことだった。
“彼は施設に入れた方がいい”そうも言われた。しかし、両親はそれをしなかった。彼らはリックの目が自分達を追っている事に気付いたからだ。
リックが11歳の頃、両親は彼を連れてタフツ・ユニバーシティの工学科に連れて行き、どうにかこの子とコミュニケーションが取れる方法はないか尋ねた。
“それは無理です”
両親は技術者達にそう告げられた。“脳が機能してないはずですから”とも。
彼にジョークを言ってみるようディックはいった。技術者達は言われるままにリックにジョークを言った。すると、リックが笑った!
その瞬間に、彼の脳の中ではいろんな事が起きているという事が発見され、可能性が一気に広がった。
そして、技術者達は体が動かない彼のために、頭の横でスイッチに触れる事でカーソルを動かせるコンピューターを開発した。
そして、彼が生まれた初めて人としてコミュニケーションをとる術を得たのだ。
最初に彼が打ち出した言葉? ``Go Bruins!'' (”ゴー、ブレイン!”)
彼が高校在学中に、クラスメートの一人が事故にあい、体が動かなくなった。その事をきっかけに学校は、チャリティー・マラソンを開催した。
それを見てリックは父親に言った。
``Dad, I want To do that.'' (”お父さん、ボクもあれをしたい”)
自分自身を”食用豚のように太っていた”と表現するディック。息子を押して走るのか?一回に1マイル以上も走った事がない自分にそれができるか?
だが、彼は挑戦した。
`Then it was me who was handicapped,''(”あの後、自分がハンディーキャップだったよ。” ディックは続ける。
``I was sore For two weeks.''(”2週間も筋肉痛が続いたよ”)
その日、リックの人生が変わった。
``Dad,''(”お父さん”)彼はタイプし何かを伝えようとした。
``when we were running, It felt like I wasn't disabled anymore!'' (”ぼく、一緒に走っている時、自分はもう障害者じゃない!って感じたんだ”)
そして、その言葉が、ディックの人生も変えた。
彼はリックにその感覚をできるだけ多く感じさせてあげたいと、できるだけ多くの機会に参加し始めたのだ。
1979年、ボストンマラソンに挑戦しようとした時、ディックの体は見事なシェープに変わっていた。
しかし、運営委員会のほうからは”無理です”と断られた。
シングルでもなければ、車椅子との参加者など前例がないからだ。
それでも彼らはその後も諦めずに、いつか大きな大会に出場できるように、会場や競技場を探しては走り続けた。
そして彼らはついに正式に参加できるレースを見つけたのだ。
1983年、参加したマラソン大会を実に早く走りきった彼らはその功績が認められ、翌年のボストンマラソンへの参加が認められたのだ。
誰かが言った。``Hey, Dick, why not a triathlon?''(”ヘイ、ディック、今度はトライアスロンに挑戦してみたらどうだ?”)
それまでのディックは一度も泳いだ事もなければ、6歳を過ぎてから自転車になどにも乗った事がない。約50キロの息子と共にトライアスロン?
それも、彼は挑戦した。
そして、彼らはこれまでに212回のトライアスロン、そのうちの4回は実に厳しい15時間連続のハワイで開催されるアイロンマンズ。
50近くになるおっさんが、25歳の息子を乗せたボートを牽きながら泳いで参加してるのだから、注目を浴びないわけがない。
誰かがディックに訪ねた事がある。「どうして自分ひとりの競技に参加しないんだい?」
``No way,''(”ありえないね”)
ディックの全ての原動力は、共に参加する事によって得られる、息子リックの笑顔、そして共に感じる”素晴らしい感覚”の為だけにあるからだ。
今年彼らは65、43歳になり、24回目のボストンマラソンに参加した。参加者22万人の中の5083位だった。
ベストタイムは1994年の2時間40分。世界記録とたったの35分しかかわらない。しかし、彼らの場合は車椅子を押しての二人組み参加という特別なケースなので記録としては残されない。
``No question about it,''(”間違いなく・・・”)リックはタイプする。
``My dad is the Father of the Century.'' (”ボクのお父さんは今世紀を代表する父親だよ”)
ディック自身もこれらの経験から得た事がある。2年程前に彼はレース中、軽い心臓発作を起こしている。ドクターによると心臓の一つの血管の95%が詰まっていたらしい。
ドクターは彼らに告げた。「もしも、今のような強靭な体をしていなければ、多分15年前には死んでいただろう。そう、リックの為にした事が、結果として自分の命も救った事になるね。」
彼らは今別々に暮らしているが、機会ある毎に共に時間を過ごすようにしている。先の父の日もリックは父親をディナーに招待した。しかし、本当に彼が父親にしたい事は決して叶わない事、そして買えないものである。
``The thing I'd most like,''(”ボクがお父さんに一番したいこと・・・”)リックはタイプする。
``is that my dad sit in the chair and I push him once.'' (”一度でもいいから、お父さんの乗った車椅子をボクがおしてみたい・・・”)
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